抜粋:大きくなる「嫌韓」〜次々と廃業、冷風吹く新大久保
東京の新大久保に行ってみると、、
「以前、無視は有りましたが、今のように軽蔑は有りませんでした」
先月19日、東京の「コリアタウン」と呼ばれる新宿区新大久保で顔を突き合わせて話し合った新宿韓国人商人連合のオ会長(63歳)は、長いため息を吐いた後、話を始めた。オ会長は、1983年に日本に渡り、1990年代の初めから、キムチなど韓国料理を日本に紹介した代表的な在日同胞企業家として挙げられる。今の新大久保は、職安通り、大久保通り、そしてその二つをつなぐイケメン通りを中心に500以上の韓国料理店と韓流商品店が密集している日本の代表的な韓流通りとして定着した。
新大久保の成長に決定的な影響を及ぼした事件は、2002年の日韓ワールドカップであった。会長は「1980年代初めまでは、普通の日本人が韓国を理解するレベルは、「韓国」と「朝鮮」を区別していないほどであった。それが2002年ワールドカップを通じて「格別な関係も無かった韓国」が「身近な韓国、何か魅力的な韓国」へと変貌し始めた」と回想した。
その後、日本で韓流拡散に大きな役割を果たしたと挙げられるのは、2000年代の衛星放送の導入による「多チャンネル化現象」である。チャンネルが増えると、それを埋めるコンテンツが必要だったし、「費用対効果」の面で優れた韓流ドラマがその隙間を埋めたということだ。自らを「1次韓国ブーム世代」と称する林原氏は「そのために(右翼新聞の)<産経新聞>系列会社である「フジテレビ」が最も多く韓流ドラマを放映する逆説的な現象が発生した」と述べた。
「3.1節」や「5.18光州民主化運動」などの基本的な韓国史に対する理解をせずに、韓流スターの誕生日だけを覚えているという韓流を通して、真の両国間の友好関係を築いていくことが可能なのか?というのが彼の問題意識である。このような脈絡を理解すれば、韓流に熱狂した日本が、なぜいきなり「嫌韓」の流れに簡単に変わったのか知ることが出来る。
2012年8月、イ・ミョンバク大統領の独島(竹島)訪問で両国関係が冷えてしまい、日本社会に眠っていた嫌韓感情が本格的に噴出し始めた。東京の新大久保、大阪の鶴橋などでは、多くの嫌韓集会が行われた。その後続いたのは、書籍の嫌韓ブームだった。昨年最も人気を集めた嫌韓書籍「メハン論(愚かな韓国論)」は、2014年に実用書籍部門3位(30万部)、「韓国人による恥韓論」は新書部門で9位(20万部)を占めた。
その被害をそっくりそのまま受け入れなければならなかったのは、日本に居住する60万人の在日同胞である。嫌韓ブームが続く中、新大久保では有名な韓国料理店が相次いで閉店した。現在廃業した業者は、70〜80に達し、その数は更に増える見通しだ。
最も残念なのは、職安通りの代表的な韓流の店舗である「K - プラス(K-PLUS)」の1〜2階に入店していた韓国食料品店や化粧品店が昨年閉店したことだ。今その場所には、中国人観光客を相手にする免税店が入った。
会長は「本国の人々は、我々のこのような事情を知っているのか?」と苦々しく言った。
【記事】(写真)
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/694402.html
posted by クライバー at 06:53|
Comment(24)
|
TrackBack(0)
|
海外記事
|
|