菅原文太さんが11月28日、東京の病院で転移性肝がんによる肝不全で死亡した。享年81歳。
菅原文太さんは、ファッションモデルを経て1958年、東宝にスカウトされ、映画俳優としてデビューした。彼が一躍昭和時代の日本映画の象徴として浮上したのは、1973年深作欣二監督のヤクザ映画「仁義なき戦い」が封切りしてからだ。「仁義なき戦い」シリーズでスターの座にのぼった菅原文太さんは、1975年から1979年まで続いたもう一つのシリーズ映画「トラック野郎」も連続で成功させ、三船敏郎、高倉 健などと共に日本を代表する俳優になった。
菅原文太さんは、昭和の時代を代表する映画俳優という枠を超えて、進歩的な社会運動も自らした俳優であった。彼は、東日本大震災後、脱原発の活動と集団的自衛権容認に反対する集会に参加するなど、社会的な活動にも力を注いでいた。
故人の妻である菅原文子さんは「他の先進国に比べて格段に生産量が少ない無農薬有機農業の普及、そして再び日本が戦争に参加しないという願い」という二つの種をまいて去ったとし、「恩義ある方々に何の別れも告げずに旅立ちましたことをここにお詫び申し上げます」と述べた。
【記事】
http://www.huffingtonpost.kr/2014/12/01/story_n_6246436.html?utm_hp_ref=korea